昨日亡くなったた木村拓也さんで忘れられない出来事がある。
2008年9月24日。広島市民球場で行われた広島対巨人戦。
前日は延長12回の末引き分けだった。その前日の試合で延長12回裏に登板した東野峻投手が連日のマウンド。それもプロ2度目の先発のマウンドに上がった試合だ。
試合は東野投手が広島打線を相手に6被安打、9奪三振の快投を披露し、プロ初完投勝利を飾った。
その試合の7回に回ってきた第3打席で、木村選手は左中間に二塁打を放ち、この日3本目のヒット。
通算1000本安打の節目の記録に達した。
試合後のヒーローインタビューは?
初完投の東野投手か?それとも1000本安打達成の木村さんか?
通常、ビジターチームのヒーローインタビューは一人だ。
木村さんは広報からヒーローインタビューの打診を受けると、
「僕はいいから、初完投の東野を」と記録達成の記念のヒーローインタビューを辞退した。
その日中継担当のJスポーツのプロデューサーは、広報と相談し、ビジターチームのヒーローインタビューとしては異例の二人登場を決断した。
「正直、早く決めたかったです。僕をね、育ててくれたのはこのグラウンドなので、今年が最後だし、そういう意味でも恩返しが出来たかな、と思っています。きょう絶対決めてやろうと、正直、自分の中で思っていました。」
と語った木村さん。
こんな強い気持ちで達成した後のヒーローインタビューをいとも簡単に一度は断り、若い東野投手に譲っている。
確かに、常日頃から取材しようと話をすると、「僕はいいから、若い選手を」と言い笑っていた木村さん。
決して華やかで、派手な活躍をする選手人生ではなかった木村さん。
記録達成でスポットを浴びるチャンスをいとも簡単に放棄して、脇役に徹することでその存在感をより大きなものにしていました。もちろん本人が存在感を大きくしようと思ったわけではなく、この心遣いが相手の心に大きく響いた結果だと思う。
こんな心遣いができる木村さんを一生忘れないし、一生尊敬していく。