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六甲へ

2009年10月24日

両親の金婚式の祝いを兼ねて六甲へ行ってきました。
野球シーズンの終了ということで私は息抜きです。
六甲へ行く途中にケーブルカーに乗りました。
ケーブルカーは初体験です。
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レトロなデザインのケーブルカー
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車窓から
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もう一台とのすれ違い
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ケーブルカーが走っているところはまだ山のふもとのほうなので紅葉にはもう少しでした。
泊まりは父と同い年、昭和4年開業の老舗の六甲山ホテルでした。
神戸の夜景は奇麗でしたが、残念ながらうまく写真を撮れませんでした。
二日目はホテルの近くにある高山植物園を散策しました。
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天気にも恵まれて青空に色づいた木々に囲まれ、癒しのひと時でした。
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何年ぶりかの両親との旅行。
一緒に行った兄も一緒に一枚…

緒方孝市選手

2009年10月10日

2009年10月10日カープ一筋に野球選手生命を全うした緒方孝市選手がユニフォームを脱いだ。
1991年の優勝を知る数少ないプレイヤーの一人がまた引退をした。
彼との出会いはその91年。アナウンサー1年目の私はグラウンドで声をかけることはなかった。
翌92年2月春の日南キャンプ。ひろしまローカルのカープ番組の生放送。2分間の生インタビューが彼とキチンと声をかわした初めての瞬間だった。事前の打ち合わせで質問内容を明かした時に「そんな普通のことを聞くの?」など、質問内容についての厳しい指摘をもらい、私はあわてた。同い年とはいえ4年早くプロの世界に飛び込み、ようやく前年に一軍に到着した彼の言葉は厳しかった。プロ野球取材は1年にも満たず、質問内容も紋切り型。プロの取材者としての姿勢を教えてくれたのが緒方選手だった。
10月7日、引退を表明していた彼にマツダスタジアムで声をかけ、この番組の話をした。
「あ~。ありましたね~。うっすら覚えてますよ」笑いながらなつかしそうな顔を見せてくれた。
常に全力でプレーをし、それがためにフェンスへ、相手キャッチャーがブロックするレガースへ飛び込み、けがと戦った23年間だった。
「ユニフォームが汚れることなく、白いまま一日が終わることが多くなった。」引退を心に決めた一因だという。
ある試合、同点で迎えた9回裏、代走で登場した緒方選手はすかさず二塁盗塁。そのヘッドスライディングをする彼の頭に送球が当たりボールはセンターへ。すぐに起き上がった後三塁へ進塁。サヨナラ勝ちのおぜん立てを整えた。すると、相手投手の投球はワンバウンドとなり、キャッチャーが後逸をした。やはりホームへヘッドスライディングの緒方選手。サヨナラ勝ちはまさに彼の俊足がもぎ取った一勝だった。
その日、ヒーローインタビュー担当の私は実は困った。
サヨナラ勝ちで盛り上がるスタンドはヒーローインタビューを待っている。しかし決勝点は相手のミス。緒方選手もヒットで出たわけではなく、代走出場。「誰がヒーロー?」球団担当も「ヒーロー無しでもいい?」と聞いてきた。わずかな問答の末、緒方選手がヒーローインタビューに登場。彼も、困惑した表情で、苦しいインタビューになってしまったのを覚えている。
引退試合で右中間への打球を放ち、三塁へヘッドスライディング。その後、相手投手のワンバウンド投球をキャッチャーが後逸するや否やホームへスタートを切り、最後のヘッドスライディング。わずかにホームベース手前で止まってしまい、アウトになったが彼らしい最後のプレーだったと思う。
佐賀県出身で、足が速く、努力家で、スローイング矯正のためには試合後のブルペンで送球フォームの矯正までした緒方選手。
彼をかわいがっていた同郷の先輩、故加藤博一さんもきっとほめていると思う。
緒方孝市さん、お疲れ様でした。
きょう、わずかにホームベースに届かなかったこの続きは指導者として後輩を育てて、つないでください。

秋ですね(その2)

2009年10月04日

ニュースバード 横浜対広島実況の帰りに立ち寄ったお店にて・・・
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秋の味覚「秋刀魚」の炙りポン酢
ベイスターズは今日のゲーム出場者の何人かはあす以降、フェニックスリーグへ。
カープは今日の敗戦でクライマックスシリーズ進出の夢が途絶えました。

秋です。

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