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また延長

2008年10月19日

きょうは東京六大学野球明治大学対早稲田大学の2回戦の担当でした。
明治は1年生の野村投手、早稲田は4年生の須田投手の投げ合いで試合が始まりました。
両投手ランナーを背負う回があるものの失点せずにゲームが進みました。
早稲田は6回途中で3塁すら踏ませていない須田投手から大前投手へ継投。その後福井投手、大石投手とつないで明治打線に得点を許しませんでした。
一方明治は野村投手が気迫のこもった投球で早稲田打線を抑えていきました。
野村投手は昨年の夏の甲子園決勝戦で佐賀北を相手に好投しながら最後に逆転ホームランを打たれて「一球の怖さ」をよく知る広島の広陵高校出身の投手。
ピンチを迎えてもここぞとばかりに気迫がしっかりと出てその場面をしのいでいきました。
9回を投げ終えて133球。味方打線は得点できないまま延長戦に入りました。
明治は10回以降は4年生の江柄子・岩田両投手の継投で早稲田打線を抑えて結局引き分けでした。

先日の加賀美投手の力投の時といい、今日といい、何か今年は延長づいています。
そういえば大学選手権で延長15回もしゃべったっけ。

緊迫した試合になるからこそ両者譲らずに延長戦に入るわけです。
先日の加賀美投手やきょうの野村投手といった学年のまだ若い投手の力投をみると
わくわくして実況出来ます。

とわいえ、きょうの試合時間は3時間50分。先日の早稲田-法政は3時間33分。
ちょっと疲れました。

あすの3回戦はどんな試合になるんでしょうか?
午後1時まではゆっくりと喉を休めます。

悔し涙の向こうに

2008年10月15日

東京六大学野球2008秋季リーグ戦も後半に入りました。
第5週の4日目のきょうは1勝1敗1分けで迎えた早稲田大学対法政大学。
早稲田は2年生の斎藤佑樹投手。法政は同じく2年生の加賀美希昇投手の先発で始まりました。
両投手の持ち味を生かした投手戦で0-0のまま延長戦へ。
斎藤投手は9回を投げ切って2人目の大石投手へスイッチ。
一方の加賀美投手は延長戦に入ってもマウンドに立ち続けました。
ピンチを迎えても必死に腕を振り、ピンチになればなるほど持ち味のストレートで勝負の加賀美投手。
最高球速は150キロをマークしました。
そうかと言って単調にならず、時には変化球を混ぜるコンビネーションは石川捕手との呼吸もうまくいっていました。
加賀美投手は早稲田打線を懸命に0点に抑えて味方の打線の援護を待ちました。
しかし、斎藤、大石投手の前にヒットすら出ない法政打線。
迎えた延長14回。加賀美投手は満塁のピンチを迎えました。
もうすでに200球を超える球数。
法政の金光監督が「今シーズン一番計算の立つ投手」と話していた加賀美投手は
六大学史上27人目の100安打を達成した上本選手を打席に迎えてストライクが入らずに押し出しのフォアボール。
思わず膝に両手をあてて前かがみになり、しばらく動かなかった加賀美投手。
続く細山田選手にも押し出しのデッドボールを与えたところで215球の力投の末交代を命じられました。
懸命に苦しさを隠して投げ続けた加賀美投手も悔しさの余り涙があふれていました。
おそらく、「勝ちたい。投げ切りたい。」という思いがいっぱいだったんでしょう。
その涙を目の当たりにして、実況しながら私も泣き出す寸前でした。
痛いほど彼の悔しさが伝わってきました。
経験値と知名度でいえば早稲田投手陣とは大きな差があるものの、
それに臆することなく腕を振り続けた加賀美投手。
その悔し涙の向こう側に見据えるものがあると思うし、それを彼自身がとらえたと思う。
今季は東大戦を残すのみとなったが、その先、来季にこの悔しさを乗り越えて何倍にも逞しくなった加賀美投手を楽しみにしたいと感じました。

愛知県人会

2008年10月14日

きょうは、東京愛知県人会に出席してきました。
高校卒業までどっぷりとつかっていた愛知県。
県人会に入会をしたいと思いながらきっかけがなくてきょうまでかかってしまいました。
私の高校の先輩の経営する居酒屋で開かれた会。
初参加ということもあって出席者の皆様に必死になって挨拶をしていたこともあり、
写真も撮っていません。
会は一龍齋貞家師匠の講談で幕開け。
徳川宗春の一席
そのしゃべりだしは懐かしの名古屋弁でした。
師匠の講談が終わってからの歓談でも名古屋弁が飛び交い、
なんとなく、高校時代より前に戻った気分に浸りました。

ふるさとは遠きにあるがために近くで触れる方言に思いをはせればはせるほど近くて遠きを知る

そういえばFootmediaの西岡社長も愛知県出身。次回は誘ってみようかな?

社会人野球

2008年10月10日

きょう、スポーツ新聞の片隅に見つけた記事。
「ミスター社会人西郷泰之内野手現役続行」
少しホッとしました。でも、根本的には野球をプレーする人たちの環境を改めて考えなきゃいけないとも思いました。
西郷選手(36)は今シーズン限りで休部する三菱ふそう川崎の選手。
しかし、移籍をしてプレーをすることになったという記事でした。

西郷選手のプレーを始めて実況したのは2006年のインターコンチネンタルカップでした。
西郷選手は1995年に日本代表入りして以来10年以上の代表歴を持つ
まさに「ミスター社会人野球」
広島の局アナ時代にはNKK(のちのJFE西日本)のドキュメントを作るなど社会人野球にも興味があった私としては杉浦正則氏を継ぐ「ミスター社会人」のプレーを実況出来ることがうれしく思ったのを覚えています。

このときのインターコンチネンタルカップのメンバーには西郷選手と前年に31歳にして初の代表入りを経験した鈴木勘弥選手(今年も都市対抗野球で補強選手として出場していました)といったベテランと
その年のドラフト指名を受けプロに進んだ高谷、寺内、下窪、鬼崎、中尾、森福、高崎、宮西といった選手も名を連ねていました。

昨今、社会人野球を取り巻く環境は大きく変化をし続けています。
私が広島にいた時代もたとえばNTT中国が西日本に統合され、西日本はクラブ化。西日本最後の年にプロに進んだのが現在ホークスの三瀬投手。
リースキンは都市対抗初出場と同時に廃部が発表されました。
NKKは川崎製鉄との経営統合で川鉄水島とチームも統合し、JFE西日本となりました。

一つの企業が野球部を支えきれない時代がやってきています。
そんな中、少々前の話になりますが、今年JFE西日本が都市対抗野球で東京ドーム初勝利を挙げました。
チーム統合初年度の監督はNKK出身の村上監督、2代目は川鉄水島出身の吉松監督
そして、村上監督時代にマネージャーを務めていた古毛堂監督が3代目。
古毛堂監督は村上監督のもとでチームを支え、吉松監督からはユニフォーム組に戻ってくれと請われてコーチを務めての監督就任。3代の監督の思いの結集した勝利でした。

村上元監督とよく話をしたのは、「企業チームの選手が職場に認められるには」ということでした。
いつも結論として出てくるのは「野球をさせてもらう感謝の心と半日しかいない職場でフルタイムの同僚に負けない勤務だ」ということでした。

チーム存続には会社の業績もかかわってきますが、勤務態度で認められるものはいかようにも変わるはずだと。

今でもJFE西日本の選手は週の半分は福山で仕事をし、残りの半分は倉敷で仕事をしています。

西郷選手のように(三菱ふそう川崎の選手のほとんどは移籍先があるようですが)ほかの企業チームで現役を続行できる例はこれからそう多くないかもしれません。

野球界はプロも若年層~社会人にわたるアマチュアももっといえば独立リーグまでも巻き込んだプレーのできる環境整備をもっと意識しなければいけない時代に入っているんですよね。

東大と私の縁…?

2008年10月04日

東京六大学野球秋季リーグ戦の4週目。
東京大学と慶応義塾大学の1回戦を担当しました。
東京大学鈴木投手の打たせて取るピッチングがはまり、
結果は2-1で東京大学の勝ち。
連敗を16で止めました。
実は、去年の10月20日、当時48連敗中だった東京大学は
立教大学との一回戦で重信投手の丁寧な投球もあり3-1で勝利して連敗を止めました。
この試合も私が実況していました。
この3年間で今日の勝利を含めても2勝しかしていない東京大学の試合を担当し、
その2つとも実況しているなんて、なんとも不思議な縁を感じました。

(第一試合ではわが母校法政大学が明治大学の野村投手の前に完封負け。明日は取り返してほしいなぁ)

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